旅行などで、遠出しているのかな
ここのところ、暖かな陽気が続いています。
外に出て散策するのも気持ちがいいですよ。
これから何回かに亘って、吉野町市民プラザについて
みなさんに良く知ってもらおうと思い、プラザ周辺を紹介したいと思います。
まず第1回目の今日は、市民プラザができる前の歴史から始めます。
HPの「吉野町市民プラザとは?」にも書いていますが、
吉野町や関内は、その昔 海でした。
そこを1656年(江戸時代初期)、吉田勘兵衛によって埋め立て工事が行われたのです。
新田が完成したのは、1667年でした。
その埋め立て地を、吉田勘兵衛の名前にちなんで、「吉田新田」と命名されました。
吉野町市民プラザは、● 釣鐘型の「吉田新田」の頂部に位置しており、「大岡川」と「中村川」の分岐点にあります。
今では、住宅が立ち並んでいる吉野町から関内の地区が海だったなんて信じられないですね。
それでは、また次回をお楽しみに。
スタッフ:T